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沖縄そばの日

沖縄そばの歴史と沖縄そばの日

堂々と「そば」と呼べるようになった日

沖縄そばの日

本土復帰をして四年目を迎えた1976年、設立されたばかりの「沖縄生麺協同組合」に対し公正取引委員会からあるクレームがついた。

その内容は、「沖縄そばは、蕎麦粉をまったく使用していないため、『そば』と表示してはならない」というものだった。「生めん類の表示に関する公正競争規約」に基づくと、「そば」という名称を表示するには、原料の蕎麦粉を三割以上使用していることが条件なのだ。

そうなると、県民に長く親しまれてきた「沖縄そば」が「沖縄風中華麺」と呼ばなくてはなくなる。そこで、「沖縄の食文化を変えてはならない」と立ち上がったのが沖縄生麺協同組合の当時の理事長土肥健一氏らだった。

まずは、沖縄総合事務局内の公正取引室に折衝に出向くがらちがあかず、直接東京の本庁へ足を運ぶ。雪が降る日も足繁く通い、数か月にわたる折衝を続ける。その甲斐があって、1977年、条件付きだが晴れて沖縄そばの名称が認可された。

しかしこれには、「沖縄県内だけに限る」という制約がついていたため、同組合は更なる折衝を続ける。この交渉は、公正取引委員会から全国めん類公正取引協議会へ移され、その中で特殊名称として「本場沖縄そば」を登録してはどうかという名案が生まれる。その結果、1978年10月17日、「生めん類の表示に関する公正競争規約」別名での名産・特産・本場等の表示で、ついに「本場沖縄そば」として認証された。さぬき名産うどんや本場出雲そばなどについで、七番目に認可を受けた。

沖縄生麺協同組合としてその日を記念し1997年から毎年10日17日を「沖縄そばの日」と制定しました。

「本場沖縄そば」は原料や熟成、めんの太さにいたるまで、12の定義がある。どれか一つでも欠けていると、そう表示してはいけないのだ。その後1987年4月5日、本土移出の正式認可を受け、本土市場への本格的な参入が始まった。普段何気なく呼んでいる名称は、実はこうしたそばに携わる人々の努力の上に成り立っている。